10/17/2021

偉大なる妻のInstagramの編集長

随分更新していませんでしたね。
楽しいこともありましたが、しんどい事も随分ありました。
いろいろ考えさせられました。
結局、気が付けば、偉大なる妻に救われていました。

最近は専ら、その偉大なる妻が半年前から始めたInstagramのお手伝いしてます!

これからは、彼女の感性で見たアメリカや日本を、彼女の深い内的な洞察を、Instagramで発信していくお手伝することに専念することにしました。

偉大なる妻の、Masaよりよっぽど興味深く面白いInstagramをよろしくー!!



10/16/2021

Masaの裏CV Part3

ということで、前回に引き続き、今回はMasaのみっともない裏CV、外科医編!

26歳:
医学部5年生で循環器内科をローテーションして、心電図に12個も誘導があることにショックをうけ、さらに誘導のST変化で心筋梗塞の部位が同定できるという事実に、何とも言えない興奮を覚えて、心臓外科医になる決意をして、昭和大学第一外科(胸部心臓血管外科)に入局を希望するも、学生時代のあまりの評判の悪さに、当時の医局長の饗場先生が急遽医局会を開いたとか開かなかったとか、、、。
きっと、第一外科の教授回診で、ただのポリクリの学生なのに高場教授の前を歩いてしまい、城所婦長に注意されたのがまずかったのだろう。

27歳:
一般外科研修で横浜旭中央病院へ出向。
腹腔鏡下胆嚢摘出術が下手過ぎて、滅多に開腹しない石田先生が、”もう、開腹して!”と匙を投げだす始末、、、。
その後は、炎症性胆嚢炎の開腹胆摘と緊急開腹手術がもっぱらMasaの専門となり、低侵襲手術にキッパリと別れを告げた。

29歳:
ドイツ帰りのバリバリの教授のもと、1年先輩の福ちゃんと症例の取り合いで切磋琢磨。
夜中の大動脈解離手術で人工血管の準備が遅れ、業者の関さんと二人で、手術始終クソ寒い手術室の片隅で直立不動の状態で教授に罵倒され、「絶対こいつより偉くなってやる!」とアメリカ行きを決意する。

34歳:
渡米して2年目、USMLE Step2 CS受験のためPhiladelphiaのホテルに滞在。
試験前夜、勝てばSuper Bowl出場が決まる、Baltimore RavensとNew England PatriotsのAFC Championshipをホテルの部屋でTV観戦。
4Q残り20秒、入れば同点でOvertime突入の大事な場面で、RavensがField Goalを外し、まさかの敗戦。
そして翌日、MasaもStep2 CSで接戦の末に敗北、、、。
この時点で、既にUSME Step1に3度不合格しており、将来が見えず、自分の準備不足を棚にあげて、一丁前に死にたいくらいに落ち込む。
ちなみに、Masaはその後なんとかStep2 CSに合格しECFMG Certificateを取得し、Ravensは翌シーズンのSuper Bowlに勝利しLombardi Trophyを手にした。

37歳
Texas Heart InstituteでTransplant Fellowとなり、初めての肺のProcurement。
助手の術野展開が悪いなか、気ばかりが焦ってしまい、左下肺静脈を損傷してしまう。
帰りの飛行機のなか、独立記念日の花火を上から見ながら、穴があったら入りたい!状態に。
幸い、Dr. Malidiが損傷を修復して事なきを得るも、その日は一睡も出来ず、術後のベットサイドでモニターと睨めっこしながら、俺これからやっていけんのか?状態に。
ちなみに、それから2年間のフェローシップで50件以上の肺のProcurementを経験して、なんとか自信を取り戻す。

その後、何度も何度も、自分が手術した患者の合併症や死と直面してきた。
うまくいった症例よりも、うまくいかなかった症例の方が記憶に残っている。
いったい今まで、何人の患者の家族に泣きながら謝っただろう、、、。
これからも、患者と真摯に向き合い、少しでもいい医療が提供できるように日々精進!!

2007年の医局忘年会
先輩の福隅先生と、手取屋教授